コーヒーがヨーロッパに伝播・輸入されていく物語は、別の機会に書くつもりですが、そのときの飲み方の1つを推察してみましょう。
ごく稀には、16世紀の初めに北イタリア諸都市の富裕商人によるオリエント貿易をつうじて、アラビア方面からコーヒーが伝わったといいます。これが目立つようになるのは、16世紀末から17世紀にかけての頃です。
コーヒーはアラブ世界では、「カフウァ」とか「カフヴェ」と呼ばれていたそうです。
それがヨーロッパに伝わって、カフェとかカフィー、コーフィーと呼ばれるようになりました。
当時、地中海世界では、貿易競争や軍事的優位をめぐって、北イタリア諸都市のあいだの激しい覇権闘争が繰り広げられていました。
そのなかで、ヨーロッパでコーヒーを飲むことは、地中海世界や都市のなかで自分が圧倒的に成功した有力者・富裕者であることを誇示する行為でした。ヴェネツィアでは富裕商人階層は、都市国家の統治にかかわる貴族でもありました。
彼らにとっては、コーヒーの味がわかって飲んだというよりも、自分の権威を見せつける快感を味わう行為でした。
シナモン | ナツメグ | クローブ |
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そうだとしても、砂糖のような金よりも高価な甘味料を使うことは、考えられなかったでしょう。
そこで、アラビアや中東方面から伝わってきた飲み方を模倣し、工夫して改良した程度の飲み方を生み出しました。
それにしても、砂糖に比べれば安価だとはいえ、コーヒー豆やインド洋の香料(シナモン、クローブ、ナツメグなど)は、カップ1杯の代金が、現代の数万円、数十万円以上にも値する希少品・奢侈品には違いありません。
だからこそ、自分の権力と富の大きさを見せつける手段ともなったわけですが。
香料だけで苦味が消せない場合には、ヨーロッパ原産の蒸留酒(これも高い)や、そこからから抽出したエッセンスを加える工夫をしたようです。
そして、それが、19世紀まで、ヨーロッパの貴族や富裕階級の嗜好、嗜みとなっていきました。
今でも、ヨーロッパの特権階級は、自分の屋敷に雇っている専門家に、そういう香料コーヒーをつくらせて飲んでいるようです。
私たちにとっては鼻もちならない彼らから見ると、現代日本で普及している(ブラックとか砂糖などを加えた)コーヒーの飲み方は、「アメリカナイズされた下賤な卑しい大衆の飲み方」なのだそうです。
そういう評価もあって、また茶の原産地インド東部を支配したこともあって、ブリテンではカフェの代わりに紅茶が上流階級のあいだに普及していきました。
次回の記事では、そういう淹れ方、飲み方を再現してみましょう。